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産後に読んだ。上下巻でかなり長い小説だが、あまりの展開に驚きながら読んだ。 一番強く感じたのは、この小説では人間関係から「愛情」というものが意図的に抜き取られ、残った搾取の構造だけがむき出しにされているということだった。 空子の家庭では、社会が父親を労働者として搾取する父親は母親を家事や性的欲求を満たすための存在として利用し、子どもたちも母親が提供する家事やケアを当然のように享受する。そこに、人間にとってさらに都合のよい存在としてピョコルンが登場する。ピョコルンは当初ペットだったものの、次第に性欲の処理、妊娠・出産、育児など、人間が負担だと感じる役割を次々と引き受けさせられていく。作者自身も、ピョコルンについて「母や女性の役割をアウトソーシングした」存在として語っている。 ここで面白く、同時にかなり恐ろしいのは、単純に「男性が女性を搾取する」という話にはなっていないことだ。それまで搾取される側だった女性たちも、自分たちよりさらに弱く、都合よく使える存在が現れれば、今度は当然のように搾取する側に回る。 つまりこの小説で描かれているのは、家父長制そのものというより、「力のある側が、より弱い存在を自分の生活を楽にするための資源として利用する」という、もっと普遍的な構造なのだと思う。 そしてもう一つ恐ろしかったのが、人々の倫理観がその時々の社会に合わせて、驚くほど簡単に変化していくことだった。 少し前まで明らかに異常だったはずの行為が、社会全体がそれを「クリーン」「合理的」「新しい価値観」とみなした途端、誰も疑問を持たなくなる。むしろ過去の価値観を持っている側が、時代遅れで倫理的に問題のある人間として扱われる。 極端な世界なのに、全く他人事とは思えなかった。 私自身、もう一人子どもが欲しいと思う一方で、妊娠や出産をもう一度経験することを考えると、「誰かに妊娠と出産だけお願いできたら楽なのに」と思うことがある。 もちろん現実の代理出産には様々な事情があり、一律に搾取だと言いたいわけではない。ただ、自分にとって身体的・時間的負担の大きな仕事を、別の人の身体に担ってもらえたらいい、と考える発想そのものは、「世界99」の人々がピョコルンに向ける発想と本当にそれほど遠いのだろうか、と読んでいて怖くなった。 最近、代理母出産によって子どもを迎えた著名人が、生まれたばかりの赤ちゃんを涙ながらに抱いている写真を見たときにも、私は少し居心地の悪さを感じた。その美しい場面の画角の外には、約10か月間妊娠し、実際に出産した別の人間の身体が存在している。その存在がほとんど不可視になったまま、出産という出来事だけが別の人の人生の物語に組み込まれていくことに、何かグロテスクなものを感じてしまった。 「世界99」は、こうした人が人を利用する構造を、これでもかというほど極端に、戯画的に描いた小説だった。 「コンビニ人間」の次に読んだ村田沙耶香がこれだったので、いつの間にこんなに恐ろしい作家になっていたのか、と驚いた

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